美の山公園をおりてくるところまで、が前回でした。
いま振り返ると、ここからの行程は時間的にはわずかですが、次元の違う経験だったので、新しい回としました。
そして【閲覧注意】です。
理由は、恐ろしい体験だったので。
起きたことを淡々と綴るだけなので、字面を追うだけなら恐くないでしょう。
しかし、感受性の強い人は恐怖を感じるかもしれません。
予めご了承のうえ、この先を読むかお決めください。
ただ、以下の体験記の真の意味を汲み取ったなら、その価値はなかなかのものだと思います。
――――――――――――――――――――――――――
28寺目、四萬部寺。
次は、真福寺。
GPSマップでルートを探すと、
・・・等高線が見えます!(ちょっとしたショックだった)
まぁ、細いけど地図に描かれた道なので、なんとかなるだろうと四萬部寺を出発。
確かに細いけど、舗装された道。
ただ、周りに民家が減っていき、記憶が定かではありませんが真福寺の手前1km位からは森の中の道になりました。
街灯がなく、文字通り月明かりを頼りに歩きました。
あの等高線が示すように、だんだんと急な坂道になっていきました。
さらに進むと、月明かりも届かないような、真っ暗な道になりました。
・・・・・。
漆黒の闇。
虚無の世界。
・・・言葉では言い表せない(何と表現すればいいのでしょうか)。
こんなところに来るとは思いもしませんでした。
恐ろしいのは、この道が山道であることです。
前に、進まない!
ガーミンの小さな画面が、あと600mほどであると知らせています。
でも、時間が空回りするかのように、現在地▲が進まないのです。
戻ろうか?
考えました。
この暗闇の中を通り抜けるのは頭がおかしくなりそうでした。
実際、呼吸が荒くなりパニック状態でした。
ここで歩けなくなったら救急車を呼ぼうか?
タクシーをここに呼んだら来てくれるか?
あてもなく思考がさ迷いました。
立ち止まることは、恐いのでできませんでした。
抜き差しならない状況の中で、前に進むことに決めました。
戻るにしても闇の道。
戻ったらおそらく未練が残る。
それならば、前に進もう。
手前200m位までくると、やや正気を取り戻せました。
ただこの辺の、お寺までの道の記憶はほとんどないです。
混乱していました。
お寺の近くまで来ると、民家が1軒か2軒ありました。
お寺の入口まで来ましたが、お寺が見えない程、暗がりになっています。
心がザワザワしました。
落ち着いて考えることはできませんでした。
目を凝らしながらお寺の方へ進み、なんとか辿り着きました。
29寺目、真福寺。
賽銭箱が見当たらず、左側の仏像の前に10円玉を置いてきました。
ありがとうござい・・・。
この二日間、私はほとんどお願いをしていません。
ただ、ひとつ先のお寺に辿りつけたことにお礼を言うだけです。
一日目は、お願いをしたお寺もありました。
たとえば音楽寺では、喉が良くなるようにお願いをしました。
でも、進むにつれて体力が厳しくなり、来れただけでありがたいと心から思いました。
思えば、私はついていました。
一日目は歩き。二日目も多くの行程を歩きました。
つまり脚力に恵まれていました。
季節にも天気にも恵まれました。
2月は寒いかなと思っていましたが、歩くにはちょうどいい季節でした。
寒風は、汗ばむ肌には心地良いのです。
山道では、日光が差し込むだけでありがたみを感じました。
晴れてるだけで幸せだ。
歩けるだけで幸せだ。
そう思って歩いていると、願いはなくなります。
四萬部寺から真福寺への道のりでは、
月明かりがあるだけで幸せなんだ、と感じました。
人は追いつめられると、とても小さなことに幸せを感じられます。すなわち、
生きているだけで幸せ。
秩父はわたしに、この幸せを教えてくれました。
この感情は、おそらく一週間後には忘れてしまうでしょう。
でもこの感情が自然に湧いてくる経験は、一生にそうないはずです。
真福寺の先は少し開けていて、月明かりが照らしてくれました。
途中暗闇にもなりましたが、川沿いまで下りてくると、川のせせらぎが聞こえ、ホッとしました。
暗闇のなかの音というのは、むしろ心強いものです。
とくに自然の音なので、心が癒されました。
やがて街灯も見えてきました。
30寺目、常泉寺。
31寺目 金昌寺
32寺目、語歌堂。
次の大慈寺への最後の直線に来た時、近くを通り過ぎていく車がありました。
意識して見ていたわけではないのですが、視界の先でその車は止まり、20秒ほど止まると、また発車していきました。
近づくと、車の止まっていたところが大慈寺でした。
何かの必要で止まったのかもしれませんが、あとで思うと、最後のお寺に導いてくれたようにも見えました。
33寺目、大慈寺。
ここが最後でした。
10円玉は一枚残りました。
でも心残りはありません。笑
願いをかけてないのですから。
願いは(すでに)叶えられてることを、秩父は教えてくれました。
ただこの時は、頭が混乱していたので正気を保つので精一杯。
呆然と駅に戻ってくると、ほんの一分前に電車が出ていました。
西武秩父駅にはガラス張りの待合室が二つあり、入ると暖房が効いていてすごく暖かい。
それぞれが教室ほどある広い待合室に、合わせて4人ほど。
不思議なことに、次の電車まで20分もあるのに、一人、また一人と電車のホームに出ていきました。西武秩父は始発駅なので、電車内で待つのは分かりますが、暖かい待合室にいた方がいいのでは?と思いました。
でも電車に乗り込むとその理由がわかりました。
車内が、待合室と同じくらい暖かいのです。
これならひじ掛けもある車内で過ごした方がむしろ、快適かもしれません。
電車内という非日常の空間にいる楽しさもあります。
ともかく、待合室と車内の暖かい空間が、ゆっくりと現実に引き戻してくれました。
22:03 西武秩父(西武秩父線)
22:48 飯能
西武ってあったかいなぁと思っていたら、池袋線は普通でした。笑
22:50 飯能(西武池袋線)
23:17 秋津
(徒歩)
23:26 新秋津(JR武蔵野線)
23:34 西国分寺
~帰宅。
ほんの数時間前の出来事が嘘のように、家に戻ってきました。
まだ、頭は混乱していました。
しばらく、夢うつつの状態が続くでしょう。
心を癒やす旅。
【付言】
秩父困民党の総理、田代栄助は辞世を遺しました。
“振り返り 見れば昨日の影もなし
行き先くらし(暗し) 死出の山道”
絞首台を前にした田代はおそらく、秩父の山中を敗走した自分に、心境を重ねたのでしょう。
漆黒の闇の中では、振り返っても自分の影はありません。
行き先も暗いので、未来もない。
死とは、過去も未来とも分断された今に向き合うこと。
田代の言葉は、それを遺した気がします。
真福寺への闇の道を歩いた今では、彼の思いが少し、分かります。