秩父市旅行記③:死出の山道編【閲覧注意】

美の山公園をおりてくるところまで、が前回でした。

いま振り返ると、ここからの行程は時間的にはわずかですが、次元の違う経験だったので、新しい回としました。

そして【閲覧注意】です。

理由は、恐ろしい体験だったので。

起きたことを淡々と綴るだけなので、字面を追うだけなら恐くないでしょう。

しかし、感受性の強い人は恐怖を感じるかもしれません。

予めご了承のうえ、この先を読むかお決めください。

ただ、以下の体験記の真の意味を汲み取ったなら、その価値はなかなかのものだと思います。

――――――――――――――――――――――――――

28寺目、四萬部寺しまぶじ

次は、真福寺しんぷくじ

GPSマップでルートを探すと、

・・・等高線が見えます!(ちょっとしたショックだった)

まぁ、細いけど地図に描かれた道なので、なんとかなるだろうと四萬部寺を出発。

確かに細いけど、舗装された道。

ただ、周りに民家が減っていき、記憶が定かではありませんが真福寺の手前1km位からは森の中の道になりました。

街灯がなく、文字通り月明かりを頼りに歩きました。

あの等高線が示すように、だんだんと急な坂道になっていきました。

さらに進むと、月明かりも届かないような、真っ暗な道になりました。

・・・・・。

漆黒の闇。

虚無の世界。

・・・言葉では言い表せない(何と表現すればいいのでしょうか)。

こんなところに来るとは思いもしませんでした。

恐ろしいのは、この道が山道であることです。

前に、進まない!

ガーミンの小さな画面が、あと600mほどであると知らせています。

でも、時間が空回りするかのように、現在地▲が進まないのです。

戻ろうか?

考えました。

この暗闇の中を通り抜けるのは頭がおかしくなりそうでした。

実際、呼吸が荒くなりパニック状態でした。

ここで歩けなくなったら救急車を呼ぼうか?

タクシーをここに呼んだら来てくれるか?

あてもなく思考がさ迷いました。

立ち止まることは、恐いのでできませんでした。

抜き差しならない状況の中で、前に進むことに決めました。

戻るにしても闇の道。

戻ったらおそらく未練が残る。

それならば、前に進もう。

手前200m位までくると、やや正気を取り戻せました。

ただこの辺の、お寺までの道の記憶はほとんどないです。

混乱していました。

お寺の近くまで来ると、民家が1軒か2軒ありました。

お寺の入口まで来ましたが、お寺が見えない程、暗がりになっています。

心がザワザワしました。

落ち着いて考えることはできませんでした。

目を凝らしながらお寺の方へ進み、なんとか辿り着きました。

29寺目、真福寺。

賽銭箱が見当たらず、左側の仏像の前に10円玉を置いてきました。

ありがとうござい・・・。

この二日間、私はほとんどお願いをしていません。

ただ、ひとつ先のお寺に辿りつけたことにお礼を言うだけです。

一日目は、お願いをしたお寺もありました。

たとえば音楽寺では、喉が良くなるようにお願いをしました。

でも、進むにつれて体力が厳しくなり、来れただけでありがたいと心から思いました。

思えば、私はついていました。

一日目は歩き。二日目も多くの行程を歩きました。

つまり脚力に恵まれていました。

季節にも天気にも恵まれました。

2月は寒いかなと思っていましたが、歩くにはちょうどいい季節でした。

寒風は、汗ばむ肌には心地良いのです。

山道では、日光が差し込むだけでありがたみを感じました。

晴れてるだけで幸せだ。

歩けるだけで幸せだ。

そう思って歩いていると、願いはなくなります。

四萬部寺から真福寺への道のりでは、

月明かりがあるだけで幸せなんだ、と感じました。

人は追いつめられると、とても小さなことに幸せを感じられます。すなわち、

生きているだけで幸せ。

秩父はわたしに、この幸せを教えてくれました。

 

この感情は、おそらく一週間後には忘れてしまうでしょう。

でもこの感情が自然に湧いてくる経験は、一生にそうないはずです。

 

真福寺の先は少し開けていて、月明かりが照らしてくれました。

途中暗闇にもなりましたが、川沿いまで下りてくると、川のせせらぎが聞こえ、ホッとしました。

暗闇のなかの音というのは、むしろ心強いものです。

とくに自然の音なので、心が癒されました。

やがて街灯も見えてきました。

30寺目、常泉寺。

31寺目 金昌寺

32寺目、語歌ごか堂。

次の大慈寺への最後の直線に来た時、近くを通り過ぎていく車がありました。

意識して見ていたわけではないのですが、視界の先でその車は止まり、20秒ほど止まると、また発車していきました。

近づくと、車の止まっていたところが大慈寺でした。

何かの必要で止まったのかもしれませんが、あとで思うと、最後のお寺に導いてくれたようにも見えました。

33寺目、大慈寺。

ここが最後でした。

10円玉は一枚残りました。

でも心残りはありません。笑

願いをかけてないのですから。

願いは(すでに)叶えられてることを、秩父は教えてくれました。

 

ただこの時は、頭が混乱していたので正気を保つので精一杯。

呆然と駅に戻ってくると、ほんの一分前に電車が出ていました。

西武秩父駅にはガラス張りの待合室が二つあり、入ると暖房が効いていてすごく暖かい。

それぞれが教室ほどある広い待合室に、合わせて4人ほど。

不思議なことに、次の電車まで20分もあるのに、一人、また一人と電車のホームに出ていきました。西武秩父は始発駅なので、電車内で待つのは分かりますが、暖かい待合室にいた方がいいのでは?と思いました。

でも電車に乗り込むとその理由がわかりました。

車内が、待合室と同じくらい暖かいのです。

これならひじ掛けもある車内で過ごした方がむしろ、快適かもしれません。

電車内という非日常の空間にいる楽しさもあります。

ともかく、待合室と車内の暖かい空間が、ゆっくりと現実に引き戻してくれました。

22:03 西武秩父(西武秩父線)
22:48 飯能

西武ってあったかいなぁと思っていたら、池袋線は普通でした。笑

22:50 飯能(西武池袋線)
23:17 秋津
(徒歩)
23:26 新秋津(JR武蔵野線)
23:34 西国分寺
~帰宅。

ほんの数時間前の出来事が嘘のように、家に戻ってきました。

まだ、頭は混乱していました。

しばらく、夢うつつの状態が続くでしょう。

 

心を癒やす旅。

 

【付言】

秩父困民党の総理、田代栄助は辞世を遺しました。

“振り返り 見れば昨日の影もなし 

 行き先くらし(暗し) 死出の山道”

絞首台を前にした田代はおそらく、秩父の山中を敗走した自分に、心境を重ねたのでしょう。

漆黒の闇の中では、振り返っても自分の影はありません。

行き先も暗いので、未来もない。

死とは、過去も未来とも分断された今に向き合うこと。

田代の言葉は、それを遺した気がします。

真福寺への闇の道を歩いた今では、彼の思いが少し、分かります。